「安里屋ユンタ」は権力に対する抵抗の唄

「安里屋ユンタ」は権力に対する抵抗の唄

 先だって(2014年7月4日)見たドキュメンタリー映画『標的の村』のなかで、八重山民謡『安里屋節』を石垣島白保出身の作曲家・星克がアレンジした『安里屋ユンタ』が唄われる、印象的なシーンがあった。

 沖縄北部やんばるにある東村高江地区。住民たちになんの説明もないまま、新型戦闘機オスプレイのヘリパッドを建設しようと、防衛施設局の作業員がフェンスにしがみつく住民たちの頭上を越えて、資材をクレーンで強硬に運ぶ緊迫シーンだ。

 ひとりの男性が「けんかはしないよ!」と言って、三線を奏で始めた。すると、からだを張って作業員に抵抗していたおじい、おばあ、若い女性も、涙を流しながらも唄いはじめる。

 安里屋ユンタだ。沖縄を訪れる観光客なら、竹富島牛車観光をした人なら、誰もが一度は耳にする唄である。

 元唄は、竹富島の絶世の美女クヤマを讃えた『安里屋節』だ。琉球王府時代、離島には首里王府の役人が駐在し、米や織物を年貢としてより多く納めるよう祭祀を制限するなど、島民の生活全般を管理していた。この役人の世話をする、いわゆる現地妻に娘が選ばれることは、年貢を減らしてもらえたり、裸足でなく履物をはくことを許されたり、様々な意味で名誉なことであった。娘が首里の役人の子を授かれば、特権が約束されたようなものだからである。その慣習が当然のことであった時代に、クヤマは「島の男と夫婦になります」と言って、役人のプロポーズを袖にした。  

 このクヤマの勇気あるふるまいを、島人は「ふられてスゴスゴと別の娘のもとへ走っていった」と唄い踊り、ひそかに溜飲を下げたのであった。誰もが実は、島いちばんの美女が役人の思いのままになることをいまいましく思っていたのである。

 そして第二次世界大戦当時は、沖縄に駐留する日本軍の特攻兵たちの間で「安里屋ユンタ」のお囃子部分、「またはーりぬ ちんだら かぬしゃまよ」が「死んだら神さまよ」という替え歌にして唄われていた、というのは有名な話だ。

 その「安里屋ユンタ」が、今農民の抵抗歌として、映画の舞台である高江の住民たちによって、防衛局の作業員の強行突破の暴挙のなかで唄われたのである。

 ゲート封鎖の車の中でも泣きながら唄う女性の、挑むようなするどい抵抗のまなざし。涙なしに見ることはできなかった。

 琉球新報東京支社報道部長の島洋子さんのお話も示唆に富んだ心をゆさぶるものだった。