映画『標的の村』で知った日本国の危うさ

映画『標的の村』で知った日本国の危うさ

 先だって(2014年7月4日)ここ松戸で三上智恵監督の『標的の村』が上映され、その内容に深い衝撃を受け、ひさしぶりにブログをアップしたくなった。おりしも特定機密法案、集団的自衛権行使容認という問題に日本国が揺れている今、アメリカから、そして日本政府から「標的」にされ続ける村、沖縄北部やんばるの深い森の中にある東村高江村の住民のすがたは、実は遠いオキナワの知らない村の他人事の話では決してない。あしたのわたしたちそのものなのだと気が付く。  普天間基地返還にともない、辺野古に新たな基地建設の話がもちあがってから、手つかずのままの自然が残る希少な北部エリアは、海もそして森も、人々の暮らしも脅かされている。「未亡人製造機」という綽名があるほど危険度の高い新型輸送機オスプレイの着陸帯建設が説明もなく進められようとする。  なぜここ、高江なのか?その答えは、驚くことに1960年代、ベトナム戦争のゲリラ戦を想定して、ベトナムの自然風土に似た高江村に「ベトナム村」なるものが米軍によって作られ、住民がわずかな食料と引き換えに、訓練と称して米軍の襲撃訓練の標的となっていた、という過去にある。ベトナム風の服を着せられ、頭には編笠をかぶって乳幼児・女性・年寄までもが駆り出され、ゲリラとして米兵に連行される映像が残っている。当時この村に枯葉剤をまいたと証言し、自身がその後遺症に今も悩む元米兵も映画に登場する。  すでに1966年にアメリカは辺野古沿岸に基地を、そしてオスプレイを配備することを計画していた記録があり、1995年の米兵の少女暴行事件によって県民の反基地感情が高まったから、普天間基地の返還を決めたのではないとわかる。「沖縄のために」基地を移設するといいつつ、逆に世論を利用して狙い通りの地に新たな基地を作ろうとしていたと言えるのだ。ベトナム戦のようなジャングルでの訓練も、海上の訓練も出来るオキナワ。多額の維持費を負担する日本は格好の訓練場なのだ。  2012年9月9日、沖縄県民大会でオスプレイ配備計画撤回を求めたのに、日本政府は電話1本で配備を通達。9月22日台風17号通過の中、県民は普天間基地ゲート前に座り込む。30日、座り込みを強行排除する沖縄県警の機動隊と住民。彼らは互いに沖縄県民同士だ。「なぜウチナーンチュ同士で争わなくてはならないのか!本土の人はなにもしないよ!」